■ココロヨーガ通信 No7 「C・G・ユングをご存じですか?」 By 桂
突然ですが、みなさん、C・G・ユングをご存知ですか?
スイスの心理学・精神医学者で、人類に共通するアーキタイプ(元型・人間の心理の深層にあって
現れるものの情動の源泉になるもの。人間心理の雛形)のパターンとシンボルが遍在していることに
気づいて、それを「集合無意識」と名付けた人です。言い換えればそれは人類に共通する普遍的で
巨大なデーターベースのことです。
今でこそ先端の理論物理学者ですら、宇宙のすべてはすべてに繋がっているということを証明する
ような時代ですが、あの当時(ユングが生きたのは1875~1961)共に道を歩き始めたフロイトと訣別し、
異端視されながら、そのような考え方を学問の世界で発表するということは、相当なことであったと思います。
ちなみに今、私たちがよく使うシンクロニシティ(共時性)という言葉も、ユングが言い始めた言葉なんですよ。
ところで私がお伝えしたいのは、そのユングが見たある夢のことなんです。少し長いですが抜粋します。
「その夢の中で私はハイキングをしていた。丘陵風景の中の小道を
私は歩いていた。太陽は輝き、私は四方を広々と見渡すことができた。
そのうち道端に小さい礼拝堂があるところに来た。戸が少し開いていたので、
私は中に入った。驚いたことに祭壇には聖母の像も十字架もなくて、
その代わりに素晴らしい花が活けてあるだけであった。
そして祭壇の前の床の上に私の方に向かって、ひとりのヨガ行者が結跏趺坐し、
深い瞑想にふけっているのが見えた。近づいてよく見ると、彼が私の顔をしている
ことに気づいた。私は深い恐れのためにはっとして目覚め、考えた。
《あー、彼が私について瞑想をしている人間だ。彼は夢を見、私は彼の夢なのだ。》
彼が目覚める時、私はこの世に存在しなくなるのだと、私には、解っていた。」
(ユング自伝2 みすず書房より)
この夢が示しているのは、私たちは普段生きているこの現実を本当のものだと思っているけれど、
実は、あちら側の無意識の世界が本当のもので、こちら側の意識の世界は一種の幻想である
ということなのです。
何も知らずこの現実の中に産み落とされて、心もとなさ、不全感を抱えて私たちは生きています。
自己知への願望を始めとして、何か確たるものに到達したいと探究せずにいられないのは
おそらく、あちら側に完全なものがあると思えるからではないでしょうか。
今から30年近く前になりますが、この夢のくだりを最初に読んだ時は、映像として迫ってくる
その情景に、私は少なからず衝撃を受けました。存在が根底から崩れ去ってしまうような
恐れと共に、ユングの言葉を肯定的に受け入れている自分がいました。
私の中でヨーガについて知りたいという思いが芽生えたのは、どうもこの時だったような気がします。
By 桂